中国古代の南朝・宋と斉時代の「資治通鑑」の全訳に挑戦。日本の古墳時代に相当する「宋書」などは紀伝体で記述されているのに対して、後の「資治通鑑」は編年体で編纂されわかりやすい。日本には全訳がないので、挑戦。協力者と校正者を求めています。

翻訳編集の方針や表示方式、ダイジェストを掲載します。

「資治通鑑とは」 日本語版 Wikipediaから引用 
   原文は「維基文庫、自由的図書館」の繁字体を使用
   
中国の北宋の政治家・文人である司馬光が、1065年(治平2年)の英宗の詔により編纂した、編年体の歴史書。1084年(元豊7年)の成立。全294巻。
収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・趙の自立による戦国時代の始まりから、959年(後周世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至るまでの1362年間としている。
最も難関とされた南北朝時代は当時の史学研究の第一人者劉恕が担当。劉恕の史料収集は余りに完璧で、司馬光は自分では何もしなくてもよかったと言わしめたほど。
「紀伝体と編年体」
司馬遷の「史記」以来、「宋書」なども「紀伝体」という皇帝の「本紀」と諸侯・武将の英雄伝である「列伝」で構成される書体が国書には多い。これだと年表的に見ていく場合は、全部を読み合わせないと前後関係が分からないし、英雄伝は読み物として誇張もある。そこで「資治通鑑」は時代順にならべた「編年体」を取っている。「日本書紀」も基本的には編年体だ。高麗の『三国史記』は1145年に金富軾が撰したが、これも三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。

「表示方法」
1.原典としては中国語版のWikipediaからペーストして使用。ただしかなり間違っていると思われる部分のあり。「皇后」を「後」としていたり、間違いのあきらかなものは直したが、疑問には「?」を付けたり、下線を引いたりした。(追記2020-0920→)その後完訳版では、続国訳漢文大成と照らし合わせたが、双方ともテキストの変換間違いもあったり、テキストそのものもかなりミスもあり、抜けているところが散見される。また双方の漢字は相当に違うし、会話などの括弧の位置が随分違う。現在まだまだ編集基準をきっちり作れない状況だ。またふりがなや送り仮名についてもまだ検討は不十分。送り仮名については、なるべく長くとり、漢字の読みが想像しやすいように配慮。続国訳漢文大成は戦前の翻訳であり、様々現代との相違もあるが、とりあえず翻訳してみた。
 

2.主に宋に関する記述の頭に■、北魏は●、燕は▲、その他夏、涼、西秦は□で囲んで表示。西域や柔然、仇地は北魏に、蜀や漢中は宋に関わる事が多いので、そこに挿入した。別に年表もそれぞれに作成する場合も之と同じ対応。資治通鑑は南朝を正当としており、宋などの皇帝は「上」と表示し、魏の皇帝は「魏主」として明確に区別している。基本的に所謂五胡十六国は明記したが、そもそも五胡十六国の数え方も様々。さらにそれぞれの成立時期についても様々意見がある。

3.できる限り原文をそのまま読み下した。漢字はネットの辞書、検索による中国語の辞書を使用、一部ペーストして参考に供する部分もある。ネットでさまざま翻訳を検索して、参考にしている場合もある。漢字そのものも、旧漢字と新漢字は多数存在。たとえば主な方針、眾→「衆」、犇→「奔」、爲→「為」、並・竝→「幷」、眞→「真」、臺→「台」を採用。受動体の「何々する所」は、原文のムードを尊重してそのままとして、「られる」とはしなかった。

4.一月から十二月までは太字で表示して見やすくしてある。暦は元嘉暦を基本にしてある。宋の何承天が提案し445年正月から採用し、数年内には倭国に伝えられていて、允恭天皇・倭王済の記述から日本書紀にも採用されていると言われている。なお使用した原典では、テキスト化する時に様々混乱しているらしく、現状ではかなりの疑問点がある。元嘉暦以前は景初暦が使われ、閏月の設定も元嘉暦とはズレがあり、元嘉暦との差が分かるところは記している。まだ2021年12月現在は調整中。

5.段落毎に簡単な表題を付けてみた。あとで検索するときに便利なような要約にしたこの内容は年表にほぼ反映されている。。大きなイベント毎にさらに大きな見出しを付けてみた。

6.続国訳漢文大成との文字や解釈に違いがある場合、(続)のマークを付けて、括弧内に表示。地名については続国訳漢文大成は中華民国当時の「○○省○○道○○県」の表示であり、とりあえずそれを使用したが、地図などで確認した上で、現代の地名「○○省○○市○○県」の表示を加えつつある。だが今の中国では○○市の下に県級の○○市が来ることもあると始めて知った。

7.人名もしくは皇帝、皇后は太字で表現。ただし役職名や称号、官位については太字にしていない。名字の「王」と●●王の場合は判断がつかない部分もある。一部にはWikipediaなどによる生存期間を入れた場合もある。

1932年に刊行された資治通鑑翻訳は国会図書館にあり、画像が公開されている。URLを記しておく。(2020-0420記)
  普通の図書館には無いと思ってたが、さすがに国立図書館にはあるよな。
続国訳漢文大成. 経子史部 第5巻 国民文庫刊行会 「資治通鑑」74巻〜92巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239900
続国訳漢文大成. 経子史部 第6巻 国民文庫刊行会 「資治通鑑」92巻〜108巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239917
続国訳漢文大成. 経子史部 第7巻 国民文庫刊行会 「資治通鑑」109巻〜127巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239942
続国訳漢文大成. 経子史部 第8巻 国民文庫刊行会 「資治通鑑」128巻〜147巻
https://dl.ndl.go.jp/pid/1239965/1/1
続国訳漢文大成. 経子史部 第9巻 国民文庫刊行会 「資治通鑑」148巻〜166巻
https://dl.ndl.go.jp/pid/1239974/1/1
続国訳漢文大成. 経子史部 第10巻 国民文庫刊行会 「資治通鑑」167巻〜183巻
https://dl.ndl.go.jp/pid/1239979/1/1
台版中国歴史地図集  中国各時代の歴史地図集で、時代毎の州別地図などは早く知ってればという位ありがたい。
http://www.ccamc.co/chinese_historical_map/index_t...

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